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おすすめ本『現実脱出論』(坂口恭平著/講談社現代新書)─ あなた自身の「けもの道」を創造せよ

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おすすめする本

現実脱出論 (講談社現代新書)

現実脱出論 (講談社現代新書)

 

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現実脱出論 (講談社現代新書)

現実脱出論 (講談社現代新書)

 

著者

坂口恭平
1978年、熊本生まれ。建築家・作家・絵描き・歌い手、ときどき新政府内閣総理大臣。著書に『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫)、『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書)、『幻年時代』(幻冬舎熊日出版文化賞)、『坂口恭平 躁鬱日記』(医学書院)、『徘徊タクシー』(新潮社)、弾き語りCDアルバムに『Practice for a Revolution』などがある。

概要・あらすじ

躁鬱病の著者による創造論
現実逃避ではなく、現実脱出のすすめ。

 

目に映っている現実は、決して唯一無二の世界じゃない!
目で見ることも、手で触れることもできないけれど、
たしかに存在するあの〈懐かしい世界〉へ読者を誘う
ベストセラー『独立国家のつくりかた』で〈社会〉と対峙した坂口恭平が、 今度は私たちの〈無意識〉にダイブする!

【目次】

プロローグ 現実さんへの手紙
第1章 疑問の萌芽
第2章 語り得ない知覚たち
第3章 時間と空間
第4章 躁鬱が教えてくれたこと
第5章 ノックの音が聞こえたら
第6章 だから人は創造し続ける
エピローグ ダンダールと林檎

感想

整体師のように現実に接する

現実は窮屈だ。
現実は抑圧的だ。
現実は自身を受け入れないものを排除する。

現実は硬い。現実は凝り固まっている。

だから著者の坂口は、まずこの凝り固まって血の巡りの悪い現実の柔軟体操をすすめる。
われわれを縛る現実に対して、整体師のように接する。
現実のほころび、凝り固まっているところを見つけては、整体師のように指圧してみたり、もんでみたり、さすったりする。
すると、現実は、時間は、空間は、もっと柔らかくて、伸び縮みするもっと自由なものになる。

本書の前半は、こういった現実を柔軟にする技術についてである。
主に実体験やフィールドワークをもとにしている。
またおそらく、名前はあがっていないが、生物学者ユクスキュルの環世界論(ユクスキュル 『生物から見た世界』 (岩波文庫)を参照)も参考にしていると思われる。

現実にのまれてはいけない、窒息してしまう

間違ってはいけないのは、著者は世界=現実という現実の一元化を否定しているのであって、現実そのものを否定しているわけではないということだ。

だから本書のタイトルは、「現実脱出論」であって、「現実逃避論」ではないのだ。

現実は、集団が形成される時にうまくコミュニケーションが行えるようにと、細部に少しずつ意図的な補正が施された仮想の空間である。(中略)混沌とした無数の知覚や空間が存在している複雑な世界を、単純化することによって現実は生まれた。だから、現実は最初から歪んでいる。それに合わせようとすると、必ず人の思考も歪んでしまう。(121-122頁)

大事なのは、現実が、集団にとってのみ実体のある空間であることに気づくことだ。個人にとっては仮想空間なのである。(163頁)

そのためには現実を脱出する必要があるのだ。(121-122頁)

「現実脱出」の方法論として「現実の他者化」を推奨する。

まずは、現実に自分の体を合わせるのではなく、自分自身の思考をちゃんと中心に置くことだ。現実という他者に合わせて生きるのではなく、自分が捉えている世界を第一に見据えよう。(123頁)

現実から逃避するのでも、否定するのでもなく、隣人との付き合いのように適度な距離を持って現実という他者と接しろという。 現実だけでは生きづらい。現実にのまれてはいけない。窒息してしまうからだ。

隣人付き合いがそうであるように、現実との付き合いも適度な距離を保ち、不断の微調整・チューニングが必要なのだ。

「現実さん」を歓待し、落ち着いて他者として付き合ってみることで、自らの思考が、独自の知覚・認識によって形成された空間であると理解することができるのだ。(166頁)

あなたの「獣道」を創造せよ

本書はある意味、哲学書というより自己啓発書に近い。
しかし違いは自己啓発は現実への馴致であるが、本書の狙いは現実の変革である。

当初、現実は、人間同士が対話できるように、互いの思考の信号を変換する装置のような役割を担っていた。それは手作りの愛嬌のある機械だったので、誰もがその欠陥に気づきつつも上手に付き合っていた。現実は複数存在する空間の一つにすぎないと、みんな認識していたのである。だからこそ、必死に思考の伝達を行おうと、人間は技術を磨き、さらに現実を拡大していった。
しかし、次第に肥大化した現実は、他の空間を押さえつけ、まるで現実しか存在していないかのように振る舞いはじめた。(171-172頁)

変革は転覆やら革命という大げさなものではない。 当初あった、「愛嬌」を取り戻すことではないか?

実際著書の坂口は「独立国家」を作ったり、自分の携帯電話番号を公開し、希死念慮で苦しむひとの対話するための「新政府いのちの電話」ならサービス(?)をしたりした。
一見愚かしい。
しかしこれほどの「愛嬌」のある実践もなかろう。
坂口の実践は、「こんな現実、転覆してしまおう!」ではないのだ。
なぜならそれも新たな現実としてわれわれの上に君臨してしまうからだ。

本書は、

  • 世界を現実の一元化から救うための
  • 現実に覆われ、窒息してしまいそうな人に呼吸の仕方を教えるための

実践の書である。

「あなた自身を取り戻せ」という。
しかし取り戻すべき「あなた自身」は創造された未来にある。

何かを消したり、抑圧するのではなく、もう一つ別の新しい知覚を作り出す。つまり、ある事象に対して違う言葉を与える。こうやって新しい知覚を作り出す方法は、少しずつ成長し、いつしか自分の仕事を進めていく上での態度そのものとなっていった。(148-149頁)

僕たちは完全に飼い馴らされてしまったわけではない。今も人間は、言葉にできない感情や空有感の予感、創造を行いたいという思考の芽が、完全には摘まれていないことが分かっているはずである。しかし、それを互いに伝達しあうためには、現実に使われている言語では困難だ。現状のままでは集団だけでなく、自分自身からも監視されてしまう。だからこそ、新しい振る舞いや言語を作り出すことが必要なのだ。(177頁)

既存の知覚に補正するのではない。
「新しい知覚」「新しい振る舞いや言語」を作り出せ、という。
本書でもっともラディカルな部分はここではないだろうか。
「新しい知覚」「新しい振る舞いや言語」、それらの建築をあなた独自の「思考の巣」と呼んでいる。

それは現実からは見えないが、動物としての「ヒト」には通じる獣道として、独自の都市形成の可能性を喚起するだろう。(186頁)

ぼくの「獣道」が誰かの「獣道」と交差し挨拶を交わす、そんな都市でぼくは生きて死にたいと思う。

付記

躁鬱病に対処する著者の方法論・技術論もおもしろい。
躁鬱病の著者自身を機械にたとえている。
躁状態はF1車。
鬱状態はおんぼろ車。
ここでも躁鬱病を他者化し、日々チューニングしながら躁鬱病と付き合っていく方法を著者はとっている。

そして躁鬱病の機械には家族という機械が接続されている。
もちろんその根底には愛情があるのだろうが、愛情の問題に縮約してしまってはお互いに苦しいだろう。だからお互い苦しまないための技術論(妻と子どもの/への関わり方)を自然と形成している。ぼくはその技術の数々に、ひるがえって、愛が見えて感銘を受けた。

こんな人におすすめ

 

現実脱出論 (講談社現代新書)

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独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

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生物から見た世界 (岩波文庫)

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