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『日本・スイス国交樹立150周年記念 フェルディナンド・ホドラー展』鑑賞記──「目が喜ぶ」絵画

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スイスの巨匠ホドラーの大回顧展

2013年12月に国立西洋美術館ホドラー展』に行ってきました。
なんだかんだとブログを書く暇がなく、そうこうしているうちに東京での開催は終了してしまいました。
公式サイトによると、このあと兵庫の県立美術館へと巡回するそうです。


フェルディナント・ホドラー展/【東京展】 2014年10月7日(火)~2015年1月12日(月・祝) 国立西洋美術館/【兵庫展】 2015年1月24日(土)~4月5日(日) 兵庫県立美術館

さて、フェルディナンド・ホドラーという画家をご存知ですか?


ぼくは知りませんでした。
知ったきっかけは、同じく2013年に国立新美術館開催された『チューリヒ美術館展』です。
こちらも東京展は終了。このあと同じく兵庫の神戸市立博物館へと巡回するようです。

この『チューリヒ美術館展』で2作品ぐらいだったかな、ホドラーの作品にひと目で魅了され、本展にも足を運んだ次第です。

ホドラーは1853年-1918年の画家。スイスを代表する画家らしいのですが、日本ではあまり知られていないのはないでしょうか?
日本では40年前に回顧展があったそうです。
ただ、研究書や美術書でほとんどホドラーの名を見かけたことがないので、日本ではあまり受容が進まなかったのかもしれません。もちろんぼくのたんなる不勉強かもしれませんが。

ホドラーの孤高さ

印象派と同時代ですが、印象派画家との知名度の違いは歴然としているのは事実ですよね。
その原因はホドラーの孤高さではないかと思います。

パラレリズムというスタイルを築いているのですが、彼独自のものです。印象派のようなグループを形成したわけでもなく、その後誰かが継承し、美術界の潮流になることもなかったので、研究するには扱いにくかったのだろうなと思います。

実際、最初見た時、象徴派に近い画家なのかと思いましたが、どうやら違うようです。
彼のスタイルは明らかに古典的ではないのですが、近代美術史で孤立している感があります。

  • 印象派的ないのは明らかですが、その形態の簡素化は近い。
  • 象徴派的な人物造形を思わせるが、世紀末感・退廃感はない。
  • 音楽的なものへの接近はあるが、同郷のクレーのように抽象化に進んでない。
  • フォーヴィスムナビ派のような色彩感があるが、ずっと写実的。
  • 点描の新印象派キュビスムのような理知的な面があるが、事物やとりわけ身体への執着がある。

ホドラーの立ち位置がわかるかなあと、つらつらと感じるままに挙げましたが、どうでもいいことですね。無理に歴史に収めることもない。

(何かに似ている、何かと違うってことでしか、表現できない自分の思考の非力さがいやになります)

リズミカルな表現へ

さて、ホドラーが言うパラレリズムって何かというと、自然の秩序にリズムを見出すありかたらしいです。
確かに人物画も風景画にもイメージのリズム感があります。

見える世界の向こう側の根源的な構造を「リズム」として考えていたようです。   印象派や点描画、キュビスムのように見える世界に留まるのとは真逆の姿勢ですが、原理的なもの・構造的なものを抽出しようという姿勢は似ているような気がします。理知的な感じがします。

そう理知的な感じがするし、「リズム」という志向であれば、抽象化へと進みそうなものなのに、具象性にはこだわっているようです。 形態も明晰、とくに身体の表現は濃厚です。

話がもどってきてしまいました。

身振りの発明、新しいコレオグラフィーへ

身体表現については、見た感じ違いますが、ドガやマティスと似ているのかなと思います。
それはダンス、より正確には「身振り」への志向においてです。

ホドラーも当時の前衛的舞踏へと接近していたようです。
人物のポージングがどれも凝っています。
新しい身体表現の言語の発明、新しいコレオグラフィーの創出。

これは観ていて飽きない美しさと愉しさがあります。それでいて身体の量感はかなり濃厚。マティスのような簡素化へ向かわないのが、また面白い。

ホドラーは「どんな感情も、身振りをもつ」と言っています。 hodler_figure2 hodler_figure1 [ホドラー展公式図録より抜粋]

明晰な風景画

風景画では、対象は随分と簡素化されていますが、形態は明確です。風景を明晰に捉えていて、現代のデザインの感覚に近いんじゃないかと思います。 雲や山などが装飾的になる一歩手前まで簡素化され、リズミカルに構成されているが、対象の明晰さはしっかり保っている。 セザンヌをもっと明るくした感じでしょうか。 hodler_landscape2 hodler_landscape1 [ホドラー展公式図録より抜粋]

目が喜ぶ

書いていて、自分の無力を感じます。
結局ホドラーって近代美術史のタームでとらえるのが難しいです。

でもそこが面白いです。
難しくいろいろ書きましたが、単純に「見る愉しみ」に満ちています。
見る快楽というより見る愉しみなんですよね。
色彩やリズム感など、目が喜ぶ、そんな感じです。 機会があればぜひ観にいってみてください。
巨大な作品もあるので、実物を見たほうがいいでしょう。

芸術作品は事物に内在する新たな秩序を開示する

最後にやっぱり、「孤高さ」って言うだけなのはつまらないので、付け加えます。

正直、ホドラーのパラレリズム、「リズム」がよくわかんないですよね。
図録を読むと、
「リズム」=律動性、反復性、躍動感、生命感
というように言い換えられています。

ぼくが思ったのはホドラーの言う「リズム」って、「フラクラル」に近いじゃないだろうか、ということです。
「フラクラル」とは、部分と全体が自己相似になっているものです。

フラクタル - Wikipedia

一見無秩序に見える風景・造形も、部分の無際限な反復(相似)で出来ている。これはいわゆる「抽象」とは違います。「仮象と実在・本質」という二元論ではなく、言うなればその中間に位置するものです。具象でもあり抽象でもある、とも言えるかもしれません。

ホドラーが「リズム」という表現で捉えようとしていたのは、こういう世界の在り方ではないだろうか?

だから、ホドラーは自然・風景に無秩序を見なかったし、その構成原理を捉えようとしたが、それは事物そのものに内在的な何かであって、決して抽象的表現へと昇華されるようなものではなかったのではないでしょうか。

ホドラーの言葉 ──「芸術作品は事物に内在する新たな秩序を開示するだろう。そしてそれは、統一の理念となるだろう」ホドラー展公式図録 p.221)

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