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LIFE DRIPPER

「くらしのしずく」-日々のくらしから抽出された発見やアイディア-をお届けします

スラップスティック・スプラッター『呪われた牙』

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カタカタッ カタカタッ カタカタッ カタカタッ カタカタッ カタカタッ

都心から郊外のベッドタウンへ私鉄が走る。
空調が効いた車内。
「まもなくぅー新沼ー新沼ー」
椅子にのけぞって居眠りしている秦野に、そのアナウンスは届かなかった。
ガタン 電車が停まった。
その衝撃で体を左右に揺さぶられた秦野は目を覚ました。
電車の扉が開いた。眠気が残る目で扉の向こうの光景をしばらく眺め、もう一度目を閉じようとした。
「あれ? ここは……駅だ。あー降りなきゃ」
扉が閉まる直前に駅に飛び降りた。
「はあー。また寝過ごすところだった。危ねえ。まだ慣れないな」

 


昼からの熱気が残る夜。秦野は汗を拭きながら新居へのまだ慣れない帰路につく。朝の出勤前に妻に言われたことを思い出してため息をついた。
「参ったなあ。注意してって言われてもなあ」
妻が言うには、お隣りの下村さんの嫌がらせだというのである。確かにときおり夜中に「カタカタッ カタカタッ カタカタッ」という音がどこからともなく聞こえた。
大げさな。騒音ってほどでもないし、うるさくて寝れないってこともないだろ。
ゴ ミ出しのことで下村さんに一度注意を受けたのだという。たいてい妻の話は半分しか聞いていなかったから細かなことは覚えてないが、下村さんはこの町内で顔 がきく人で、仕切り屋の口うるさいおばさん、言い返した妻は目をつけられたのだという。妻が嫌いなタイプだ。子どものケンカじゃあるまし、と心の中で思っ てただ黙ってうなずいていたら、今日の朝になって「あなたから下村さんにきちんと言って。うるさいって」と言うわけである。
「はあー」秦野はまたため息をついた。
「しっかし、あっついなあ」

点々とある街灯と、立ち並ぶ住宅の窓からこぼれるわずかな灯りだけが街路を照らしていた。
「ん? この音って?」
秦野は自分の足音ではないかと疑い立ち止まった。耳をすます。
カタカタッ カタカタッ カタカタッ
あの音だ。
奇妙なのはそれがどこから鳴っているのか分からないことだった。近くからするような気もするし遠くからする気もした。前方からなのか背後からなのかも分からなかった。
すると、その音に犬の甲高い鳴き声が重なった。吠えているのではない。叫び声だった。何かに襲われているような……。
辺りを見回したが、犬は見えなかった。

その数日後、近所で事件が起きた。少女が犬に襲われたのだという。
少 女は父親と夜の帰路を歩いていた。そこに犬が現れた。父親の証言では、犬の歩き方がふらついているような少しおかしな感じがあったという。少女は駆け寄り しゃがんで犬の頭をなでた。犬は大人しかったが、少女が「パパ。この犬くさい。お口くさいよ」と言って父親のほうに振り向いた瞬間、少女の腕に噛みつい た。父親がすぐに駆け寄り少女を犬から引き離したので、幸い軽傷で済んだ。軽傷だったがゆえに治療にあたった医者は、腕についていた噛み跡が犬というより むしろ人間の歯型のようだという疑念を自らのうちにしまった。問題になったのは、飼い犬に見えない汚い身なりの犬だったという、父親の証言だった。近所で は、野良犬の仕業だ、狂犬だ、と噂になった。

新沼町内会集会所。
「せっかくのお休みのところ、お集まり頂きありがとうございます。お集まり頂いたのは、ご存知かと思われますが、佐々木さんのところの娘さんが犬に襲われた件についてのご報告と、町内会として対策を……」
と町内会長が話すのを、秦野はぼんやりと眺めていた。秦野は、こういう集まりはできれば避けたいと考えていたが、引越してきたばかりだし、いきなり欠席するわけもいかず、近所づきあいの手前仕方なく出席していたのだ。
「いやいや、とにかくたいした傷でなかったのでよかったです」と町内会長。
「でも、その犬は捕まっていないのでしょ? うちの子は塾で帰りが遅くなるから心配です」と秦野の隣りの男が言った。
「そうなんです。それで、一応警察には協力をお願いしたのですが、犬ですからね。どんだけのことをしてくれるか……」
すると下村さんが横柄な口ぶりで、
「あの野良犬の仕業よ。保健所に連絡して処分してもらいましょ」と町内会長に向かって言った。
秦野には「あの野良犬」が何を指すのか分からなかった。
「まだあの犬とは決まったわけでは……。それにもう町にはいないと思いますが……」と町内会長はおどおどと答えた。
「あの野良犬に決まってるわよ。あのとき保健所に持っていって処分してもらえば、こんなことにはならなかったんじゃないかしら」
「あの。その犬っていうのは……」と秦野。
「あ、秦野さんは知らないよね」と隣りの男が答える。「いや、ちょっと前ね、ホームレスがこの町に住み着いていまして、そのホームレスが野良犬に餌をあげて可愛がっていたらしいですよ。あ、もうそのホームレスは居ませんからね、ご安心を。ねえ町内会長さん」
「え、ええ」
「結局、あの浮浪者のおじいさんの死因は何だったの?」と下村。
「え、ああ、熱中症と栄養失調じゃないかと医者は言っていました」
「もういい迷惑だったわ。ここで死ぬことないのに。すぐ追い出せばよかったのよ。町内会長さん、ときどき、ご飯とか差し入れしてたんでしょ? 余計なことするから居ついちゃって、死んだ後始末までするはめになって、しまいには連れてきた野良犬がこんな事件起こしちゃって」
「は あ、すいません。ヌマタさんは、あ、そのホームレスの方のお名前です、昔新沼に住んでいたらしいんです。都心に引越してそれなりの生活をしていたみたいな んですが、いろいろあったみたいで家も身寄りも失ったみたいなんです。それでヌマタさんは子ども時代を過ごしたこの町に帰ったそうで、それを聞いたら無下 に追い出すのもはばかれまして……」
「だからってご飯なんかあげる必要ないんじゃない。警察に連れてくとか」
「まあ、そうなんですが、話を聞くと総入れ歯であんまり硬いものとか食べれないって言うんで。おにぎり一つもやっとこさって感じだったので、柔らかいものをと思いまして……」
「優しいんですね。私はね、勇気を振り絞って迷惑だから早く出て行ってって言ったの。もちろんこの町内のためによ。それで出て行ったと思ったら。町内会長さんがそんな親切するから戻ってきちゃって……その親切が結局こんな事態を招いちゃったんじゃない?」
「はあ、すいません」
そのやりとりを聞いていた秦野は、ずいぶんとひどい言い方するもんだな、妻が腹立てるのもわかる、と思った。
結局町内会としての対応策は町内会のメンバーが順番に夜回りすることとなった。

秦野は家を出ると、キャンプ用の懐中電灯のスイッチを点けたり消したりして、電池があるかどうか確かめた。
「ク ソッ。なんで引越してきたばかりのうちが一番最初に夜回りしなきゃならないんだよ」とひとりごちた。「うちは明日から息子夫婦と二泊三日の旅行なんで すぅ。準備もありますし、早朝には出なきゃならないのぉ」と下村の口ぶりを嫌味ったらしく真似ると、下村の家の前で立ち止まり大きく舌打ちした。
町内の地理にまだ詳しくない秦野は、特にあてもなく人けのなさそうなところを見つけてはブラブラと歩いた。
「そういや、犬を見つけたらどうすればいいんだ? 警察に連絡? 何も言ってなかったな、いい加減なもんだ。それに狂犬なんだろ、襲ってきたらどうすればいいんだ? 何も武器っぽいもの持ってこなかったよ」
夜道を懐中電灯で点滅させながらひとりごちた。
「もうこんなもんで充分だろ」と秦野は夜回りを終え帰ろうとしたが、ブラブラと歩いてきたため、帰路がわからなかった。
ポケットからスマホを取り出し、スイッチを入れる。暗いところにいたので、ディスプレーの明かりがきつく感じられた。一瞬目を細めてから、地図アプリを立ち上げた。
「ああ、このへんか。じゃあ家はあっちだな」
現在地を把握した秦野はスマホをポケットにしまった。目の前にぼんやりと何かがいた。
「うわっ!」
驚いて後ずさりし、懐中電灯を点けた。
犬だった。やつれた犬が大人しく座っていた。
も しかして、と思ったが、こんな弱々しいのが件の犬とは思えなかった。秦野は一呼吸すると、慎重に前進した。犬は身じろぎしない。近くまでくると随分と薄汚 れていることがわかった。やっぱりこの犬が、と思ったときだった。犬の口が大きく開いた。懐中電灯は口の中を照らす。まるで人の歯だった。歯並びが人間の ようだったのだ。自分の目を疑った。まばたきをした。もう一度見つめ直す。突然犬が大きく口を開けたまま飛びかかってきた。虚をつかれた秦野は、後ろに尻 もちをつき、鼻を噛まれた。
「ぐあッ!」
秦野はとっさに懐中電灯で犬を殴りつけた。犬は鳴き声ひとつせず、横転し倒れてた。秦野は噛まれた鼻の痛みとひどい匂いに顔をしかめた。犬はぐったりと倒れたまま動かなくなった。
「え? 死んじゃったの?」
殺すつもりがなかったので不快な気分がこみ上げてきた。少し距離をおいて懐中電灯で犬を照らし、観察した。
「死んでないよな……」
すると犬の頭が持ち上がり、口がゆっくり開いた。
秦野は、犬が生きていたことで安堵したが、同時に恐怖が再びやってきた。それは当たっていた。
犬の口がモゴモゴと動き、呻いている。……ワァワァアシーオオイィィ……。しかしそのうめき声は次第に人の言葉のようになっていく。
「……シノマチ……ココワワタシノマチ……ココワワタ……」
犬がしゃべった? ここは私の町?
秦野は自分の解釈を確かめたいと思ったが、恐ろしくてこれ以上近づけなかった。
……ワァタァーシノマチィィ……グゥワァァ!
犬がまた飛び襲ってきた。秦野は今度は思っきり懐中電灯で殴りつけた。犬が地面に倒れる。今度こそ殺してしまったかもしれない、そう思ったが、気にせずすぐさま踵を返し走りだす。
「うわぁ」
尻に激痛。噛まれた! 痛みよりずっと大きな恐怖が秦野の全身をつらぬいた……。

翌日の早朝。慌ただしい下村家。
「ミヨコ。早くしろ。もうヒロシが迎えにくるよ」
下村ミヨコの夫はボストンバッグを部屋から持ち出しながら言った。
「え、もうそんな時間?」
「道が空いているから、予定より早く着くってよ。さっき連絡あった」
ピンポーン。ドアフォンが鳴った。
「あら! もう着ちゃった! 家に上がって待っててもらうわ」
下村ミヨコは慌ててキッチン脇のモニターを覗きこんだ。
しかし、映っていたのは息子のヒロシではなかった。秦野だ。
こんな早朝に何! 忙しいのに!
「なんですか!」
下村ミヨコはあからさまに苛立ちをみせてモニターのマイクに向かって怒鳴った。
「どうしたんだ?」
驚いた夫がやってきた。
「お隣りの秦野さん」と言ってモニターを指さした。生気を失ったような秦野の姿が映っている。
「こんな早朝に何だって?」
「それが突っ立ったまま、何も答えないのよ。秦野さん、御用は何ですか! ほら黙ったまんま。気味悪いわ」
「モニターが壊れたのか? こっちの声が聞こえてないのかもな」
「何とかしてよ。こっちは忙しいっていうのに……」
「ああじゃあ、俺が見てくるから、お前は準備しろ。秦野さん、今行きますからー。チッ、壊れたかなあ」
夫は玄関を開けて外に出て行った。ミヨコは洗面台に戻り化粧を続けた。
ドン!
玄関から大きな音がした。
ミヨコは玄関向かうと、夫が血だらけで倒れていた。
「あなた、どうしたの!」
恐怖でミヨコは立ち止まった。
「警察、警察呼べ……」夫がうめいた。
玄関が開いた。秦野だ。口許に血がしたたっている。
ミヨコは金切り声をあげた。

「車で待ってて。おやじ達を呼んでくるよ」と言ってちょうど車を降りたヒロシは、金切り声を聞いて、慌てて門を抜け、玄関を開けた。横たわる父親の上に男が馬乗りになり噛みついてた。その奥で母親のミヨコが腰を抜かしていた。
「何やってんだ!」ヒロシは叫ぶと男を掴んで思っきり引っ張る。その拍子に男もろとも後ろに倒れた。父親は血だらけで倒れている。
「母さん、救急車! 救急車呼んで」
「ああ、ああ……」ミヨコは腰を抜かしたまま呆然としている。
「早く、救急車! 警察!」
ヒロシは叫び、自分の上にいる男を跳ね除ける。うつ伏せに倒れた男に馬乗りになり、腕を固めた。
「何やっての! 母さん! 早く電話して!」
やっと我に返ったミヨコは四つん這いで電話のあるほうへ動き出した。
男 は抵抗せずぐったりとうつ伏せに倒れていたが、ヒロシは全体重をかけて抑え込んでいた。男はまるで死んだようだった。よく見ると至る所傷だらけだった。顔 面は床にまっすぐ伏せていた。息をしていないようだった。しかし、ミシミシと音がして、男の後頭部が膨らんできた。ワサワサと動く髪の毛。
ミシッ メリッ ガバッ
音と同時に男の後頭部が割れ、口が現れた。悲鳴をあげるヒロシの腕を噛んだ。ヒロシは手を離し後ろにのけぞった。
バケモノだ!
ヒロシはそう思った。バケモノはのっそり立ち上がり、奥に歩いていく。その気配を感じたミヨコはわなないて壁にへたり込んでしまった。バケモノはぎこちない歩き方でミヨコの方へ近寄っていく。
「母さん、逃げろ!」
ヒロシはそう叫んでバケモノの足許にタックルした。
バン!
バケモノは前のめりに、棒のように倒れた。顔面は床に叩きつけられた。「グシャッ」と鈍い音。頭部が跳ねた。床に血が飛び散った。
一瞬の静けさ。戦慄。完全なる恐怖。
ヒロシもミヨコも身じろぎも出来なかった。
バケモノの頭だけが起き上がった。ミヨコとバケモノの目があった。バケモノの口がクワっと開き、何かが飛び出した。それはミヨコの顔に噛みついていた。
入れ歯だ! 
その入れ歯はミヨコの顔を喰いちぎっていた。そして口から体内へと入っていった。
クシャクシャ メシメシ クシャクシャ メシメシ クシャメシ
ヒロシは、逃げなければ、と思った。這いつくばって玄関に向かった。やっとの思いでドアノブに手をかけ立ち上がり、扉を開ける。母親を一瞥しようと振り向く。ミヨコの腹が少しずつ盛り上がってきた、と思ったその時、腹を喰い破って入れ歯が飛び出した。

ヒロシの妻は眠る娘を抱えながら、車の後部座席で待っていた。
ヒロシが荒っぽく車に乗ってきて、すぐにエンジンをかけた。
「どうしたの? お母さんたちは?」
「逃げるんだ」
「え? 逃げるって?」
車が急発進した。その反動で妻は後部座席で倒れそうになった。
「ちょっと、どうしたの? 危ないじゃない」
「バケモノ、バケモノだ」
「え、何?」
妻はそう言って、運転席のほうへ乗り出した。夫の顔は真っ青だった。服も血だらけだ。
「あなた、どうしたの!」
ガチャン!
車は電信柱に衝突した。幼い娘が助手席のほうへ投げ出された。慌てた妻は娘のほうへと乗り出す。夫はハンドルに倒れ込んで、ビクンビクンと痙攣している。次第に痙攣が大きくなり、首元が下から膨らんできて、夫の口が大きく開いた。
ガン!
口から入れ歯が飛び出し、フロントガラスに衝突した。ダッシュボードの上で入れ歯が「カタカタッ カタカタッ」と震えている。
妻は娘を抱きかかえ、悲鳴をあげた。

秦野キョウコはソファで浅い眠りから目を覚ました。手からスマホが落ちる。拾い上げ確かめるも夫からの着信はない。急いで寝室に行き、玄関で靴を確かめる。まだ夫は帰って来ていない。悪い予感ばかりが頭を駆け巡る。
激しい衝突音とともに、車のクラクションが鳴り響いた。
夫が車に轢かれるイメージが去来し、家を飛び出した。家から数メートル離れた電信柱に車が衝突していた。駆け寄った。
後部座席のドアから血だらけの女性と子どもの上半身が飛び出していた。車内を覗くと血だらけの男性が一人。夫ではない。車外にも夫はいなかった。
「よかった」
キョウコは安堵する。
「あのー大丈夫ですか? 救急車呼びますか?」
声のする方を向く。事故現場の向かいの家の窓から男が心配そうに見つめている。その声でキョウコはやっと目の前の光景をありのままに受け取った。
「あ、私じゃないんです。私は大丈夫です。でも中に人が…。あ、救急車呼んでください。早く。お願いします」
助けなければ。女性は? 子どもは? 大丈夫なの? 女性の体がピクピクとわずかに動いた。まだ生きてる!?
「大丈夫ですか? 救急車呼びましたから」
キョウコは声をかけた。呼吸を確認するため、女性の顔を覗きこむ。
カタカタッ カタカタッ カタカタッ
「キャッ!」
女性の体の下から赤白の小さな何かが飛び出した。それはカタカタと小刻みに振動しながら、街路を生き物のように走っていく。素早い動きで向かいの家の生け垣の中に飛び込んで消えてしまった。小動物か何かだろうか? でもあの音って……。
「大丈夫ですか?」
近所の人たちがラフな格好で不審そうに家から出てきていた。
「中に人がいるんです。手伝ってください。助けないと」
キョウコは大声で言った。

カタカタッ カタカタッ カタカタッ カタカタッ カタカタッ カタカタッ

 

 

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