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鎌倉の近代美術館の閉館は惜しい

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神奈川県立近代美術館閉館

2016年1月で閉館してしまうそう。建物自体は保存されることになりましたが、美術館としての役割は終えてしまうとのこと。 今後の使い道は決まっていないようですが、一般公開して、誰もが中に入れるようにして欲しいです。

クールな外観も素敵ですが、なんと言っても内部空間が素晴らしいのです。テラスの部分では映画『ノルウェイの森』のロケ地にもなりましたよね。

www.moma.pref.kanagawa.jp

www.asahi.com

思い出のアルバムとして

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そんなわけで最後の展示「鎌倉からはじまった」に行った。
写真を撮ってみて思ったのは、建築の写真集が出ているように極めてフォトジェニックでありながら、かつ身体で感じる空間性も気持ちがいいということ。

目でも感じるし、体でも何かを感じる。

なので、散歩気分で無駄に1階から2階、2階から1階へと中をぐるぐるしてしまった。

 

とりあえず私的な記録として画像掲載。

 正面

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 正面から左に回って。上空にはトンビ。

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池の反射光が映り込むテラス

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 中庭からの空

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 旧館と新館の間

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 トイレとその横に壁に映る光

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 その他

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建築の概要について

 最後に記録として、入館者用の鎌倉館のA4両面一枚の公式の建築概要を投稿しておきます。入館者なら誰でも持って帰れるものですが、それも無くなってしまうだろうから、その画像とともに、アーカイブとして書き起こしておきます。

これによると、開館当初は2階に天窓があったり、「柱、窓枠、壁などに赤、緑、黄などの鮮やかな色が用いられ、現在より色彩豊かであった」そうです。現在のモノトーンな感じとは違うので意外。

また「中庭北側上部の壁面には、当初は映写用のロールスクリーンが設置されており、実際の上映にも使用された」そう。一度あそこで屋外映画を体験してみたかったですね。

▼これが概要資料の写真▼

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▼以下、これの書き起こし▼

神奈川県立近代美術館 鎌倉ー建築について

設計:坂倉準三
施工:馬淵建設(旧館)、前田建設工業(新館)
階数:地上2階
構造:鉄骨
本館延床面積:1,575m²(旧館)、860.54m²(新館)

1951年11月17日、鶴岡八幡宮の敷地内に日本で最初の公立の近代美術館として開館した。平家池にせり出すように建てられ、建物2階部分を「ピロティ」とよばれる列柱群が支える形式をとっている。

1950年に建築家・吉田五十八(いそや)を審査委員長として美術館の指名コンペが行われ、坂倉準三案に決定した。機能性、敷地との関係性、予算を考慮した鉄骨造であったことなどが評価された。このコンペは坂倉を含め、前川國男吉村順三谷口吉郎、山下寿郎ら5名の建築家が指名されていた。

1966年、同じく坂倉準三の設計により旧館の東に新館が増築された。展示室はガラスのカーテン・ウォールによって池と一体となるような空間で、外から差し込む光が印象的である。耐震の問題で2007年以降は公開されていない。

旧館、新館はともに、モダン・ムーブメントに関わる建築や環境形成の記録調査および保存のための国際組織ドコモモの日本支部DOCOMOMO Japanの選定建物であり、日本を代表するモダニズム建築である。

坂倉準三(1901ー1969)

岐阜県羽島群の醸造元の家に生まれる。東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学し、建築史を研究するうちに建築家を志すようになる。大学卒業後フランスに渡り、ル・コルビュジエに師事。その後帰国し、日本で事務所を構える。1937年、パリ万国博覧会日本館により建築部門グランプリを受賞。神奈川県立近代美術館は戦後の最初の作品である。

色彩計画

旧館の色彩は開館から現在まで複数回変更されている。当初は柱、窓枠、壁などに赤、緑、黄などの鮮やかな色が用いられ、現在より色彩豊かであった。

素材

旧館の1階の壁には栃木が原産地である大谷石、2階の壁面はアスベスト・ボードをアルミジョイナーで固定している。新館の構造材にはコールテン鋼をもとに製作したヨーテン鋼が用いられている。

【1階】

中庭

現在の床は天然スレート張りだが、当初は玉利敷で桂離宮の古書院の御輿寄を思わせる斜めに延びる敷石があった。中庭北側上部の壁面には、当初は映写用のロールスクリーンが設置されており、実際の上映にも使用された。

イサム・ノグチこけし》1951年作

リーダーズダイジェスト東京本社に置かれる予定だったが、設置されなかったため、1952年に当館で開催した「イサム・ノグチ」展の際に鎌倉館に来た。当時、山口淑子と結婚したばかりのイサム・ノグチは北鎌倉にアトリエを構えて住んでいた。現在の位置になったのは1991年からである。

彫刻室

大谷石とガラスの壁で構成された半屋外の空間。ガラスの壁は当初、可動式であり展示に合わせて空間を構成することができた。中庭や平家池など外の景色とあわせて作品を楽しむことができる。

大谷石の壁

栃木県宇都宮市大谷町付近一帯で採掘される軽石凝灰岩の一種で、石の重量が軽く石質が柔らかいため加工し易く、また耐火性にすぐれている。トイレ前の四角い窓に嵌められたガラスブロックの凹面から中庭を覗くと楽しい。

テラス

坂倉準三は桂離宮の古書院の月見台を参考に、近代建築の中に伝統的な日本建築を想像させる空間を作ったと言われている。ピロティの列柱には、水中から立つ鉄骨を自然石で両側から挟んで、水面上の柱石のように見せる意匠がなされている。

内藤礼《恩寵》2009年作

池に弧を描くように吊り下げられた、透明なビーズによる繊細な作品。2009ー10年開催の「内藤礼展」の際に制作された。

【2階】

展示室

開館当初は自然光を取り入れていたが、1969年の改修で天窓は塞がれ人工照明となり、屋根は平坦な構造となった。外周側に設置された造りつけの展示ケースのガラスが斜めになっているのは、トップライトの光の反射を除け、また鑑賞者自身が映り込むのを避けるためであった。

喫茶室

開館当初からあり、平家池に面し八幡宮内の自然をのぞむことができる。中3階との吹き抜け部分の壁面は、1957年に当時の副館長・土方定一の提案により、田中岑(たなか たかし)によって描かれた。その後、長い間白い壁で覆われていたが、2003年に修復され再びその姿を現した。

手摺り

2階の半屋外の廊下から1階をつなぐ階段の真鍮製の手摺りは、1階の大谷石の壁から少し離して取り付けられており、宙に浮いているかのようである。

▼今回の最後の展示に合わせて作られた資料集。これは買いです。

空間を生きた。 ―「神奈川県立近代美術館 鎌倉」の建築1951-2016
 
建築家 坂倉準三 モダニズムを生きる|人間、都市、空間

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