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根拠なき自信が重要になり、実績による自信だけでは足かせになる時代

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根拠なき自信はダサかった

アラフォーの私がまだ子どもの頃。

私の周りだけかもしれないが、根拠なき自信はダサかった。実績ないくせに自信満々なやつは煙たい存在だった。逆に言えば、実績があるやつは崇めたてた。

それは今でもまだ変わってないかもしれない。

エビデンス主義の昨今では、ますます根拠や実績が求められるのだろう。

根拠や実績があるのなら、十二分に活用すればいい(この場合重要なのは、それらをどう分析し、どう活用するかだけれども)。否定する必要はない。

籠城しか戦略がない

現代は、時代の転換期。

前例のないことばかり。そのときに活きてくるは「根拠なき自信」だと思うのです。

実績による自信が無意味になるわけではない。それプラスアルファで根拠なき自信が必要なのだ。以前より増して。

こんなことを考えたのは、身近に(大げさに言えば)実績による自信だけの人がいるからだ。

これはたちが悪い。

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実績による自信は、変化の邪魔になる。他人の、とりわけ異業種・他分野の声に耳を傾けない。

実績という堅牢な城も、時代の変化で徐々に外堀を埋められてきているのに、籠城しか戦略がない。

一緒に仕事をしていて歯がゆい。

たんに、その人を責めているのではない。自分に根拠なき自信が薄いことが情けないのだ。籠城してばかりではダメだと引っ張る力がないことが情けない。

言い訳をすれば、一昔前まで根拠なき自信はダサかったんだもの。急に求められても……。

子どもに何を遺してあげたいと思うだろう

だから……

私には子どもがいないけれど、もしいるとしたら何を遺したいと思うだろう。

莫大な遺産か、根拠なき自信。

莫大な遺産はまず無理だろう(遺産が無意味になってしまう変化が起きるかもしれないし)。

どんな時代(われわれが想像できないような)になっても前向きに生きていける根拠なき自信を遺してあげたいと思うだろう。