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朝ドラ(2017年後半)「わろてんか」がつまらない理由を考える(4週目まで観て)

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前置き

2017年10月からはじまったNHK朝ドラ「わろてんか」が面白くない。京都編から大阪編に移った4週目まで観た感想。

前もって言えば、朝ドラ史上一番面白くないというわけではない。その前の「ひよっこ」が面白かったから余計そう思うだけかもしれない。冷静に考えてみれば、基本的に朝ドラはそんなに面白くない。たぶん「あまちゃん」とか「ごちそうさん」とか「ひよっこ」が特別だったのだろう。

朝ドラのターゲットはきっとそこそこ高齢の女性だろうから私とは違う。それに、朝食時などの片手間に視聴されることを念頭においているだろうし。今回は主人公の生涯を描くパターンだからエピソードも散漫になろう。

そう前置きをまずしておく。

というのも、制作側にはそれなりの意図があるだろうが、それについては無視したいから。そんなものはネットのゴシップ記事でも見ればよい。

そういう舞台裏とかどうでもよくて、どうして自分はこれをつまらないと思うかを考えたいだけ。ただ面白くないと言ってばかりもなんなので、理由を自分なりに考えてみたいだけなのです。

二人が惹かれあう理由がわからない

4週目まで観て。

大阪編になってはっきりしたことは、てん(葵わかな)も藤吉(松坂桃李)も金持ちの家育ちで、天然キャラの似た者同士だったこと。

似た者同士の恋愛はドラマティックにならない。衝突が生まれないから。これが一番致命的なのではないかと思っている。

異なるもの同士が衝突し、いずれ認め合い、足りないものを補い合う。そこにお互いこの人でなければという理由が見え、視聴者は共感する。

しかし、この二人はそうではない。二人が惹かれあっているのは、単に似ているから。それでは視聴者には、駆け落ちするほど惹かれあっている理由がわからない。

ドラマ上は「笑わしてくれる」からと言うのがドラマ上の理由になっているが、藤吉の芸がドラマ内でもつまらないことになっているし、視聴者から見ても面白くない。

つまり第三者にはわからない、二人にしかわからない独特の笑いのセンスを持った痛い二人の痛い恋愛になってしまっている。

事実をもとにしているからキャラをいじれなかったとしたら、痛い二人を徹底的にくさす筋立てにすべきだったと思う。

二人をつなぎとめていた手紙の存在も中途半端で、てんが視聴者から見ても辛い状況下で育ち、心の支えが手紙しかなかったとしたら、たとえ手紙の内容が嘘だったとしても、てんが藤吉にかけがえのなさを感じるのはわかる。

しかし、どうだろう。てんは家族にも経済的にも恵まれている中で、あの手紙が、駆け落ちするほど心に刺さるだろうか?

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てんにとってはそうだった、ということになっているが、大方の視聴者には共感できないのではないだろうか?

そこを丁寧にエピソードを重ねるべきだったし、そうしないのであれば、天然キャラの痛い二人を笑ってやってください路線にでもして欲しかった。

なんだあの周囲の温かい目。

あいつらアホやなぁという目線があれば。「アホや、絶対苦労するで」という批判的だった人が最後には誰よりも二人を応援することになるとか。

いっそ見合い結婚にしてしまえばよかったのに。二人が惹かれ合っている理由を積み重ねる必要がないから。「あさが来た」のようにまず結婚してしまう。

それこそてんの両親がお見合い結婚だった。セリフであるだけだが、二人がいかに正反対の性格で、結婚生活を続けていく内に互いの良さをみつけていったストーリーが透けて見える。二人が違いを認め補い合ってやってきたことが視聴者にも推測がつくし、共感できる。

現状では、二人に共感できないから、二人に障害を与えドラマを作っても、感動しない。だってそこまでして障害に立ち向かう理由がピンとこないから。

てんのキャラに葵わかなのイメージがぴったり過ぎる

てんは、独特の価値感持っていて、その価値感が人と違うかもしれない、という葛藤を知らずに、疑いなく前進していきます、という感じ。

実際の葵わかながどんなかは知らないが、その容貌はてんのイメージにぴったりなのだ。

それはほんとはとてもいいキャスティングなんだろうけど、今回の場合はどうなんだろう。

ぴったりなゆえに、「独特の価値感持っていて、その価値感が人と違うかもしれない、という葛藤を知らずに、疑いなく前進していきます」的な女子キャラが完成してしまっている。

もうこれは視聴者の入り込む余地がない。応援したいという気持ちがわかない。逆に言えば視聴者からの応援や理解を必要としていない。完全無欠のキャラとなってしまった。まるでアニメキャラのようなのだ。

生身の人間が演じるドラマの場合、ぴったりじゃない面白さがあるのです。

その点、藤吉と松坂桃李はイコールには感じない。その意味で、今後藤吉という人物が変化する可能性を感じる。

てんと葵のぴったり感の危険な匂いは、「まれ」のときと似ている。まれと土屋太鳳はぴったり過ぎた。

「まれ」の場合、その存在を否定する蔵本一子(清水富美加)がいた。後半が一子がまれにキレたときは、そうそうと視聴者は共感したものだ。

大阪編では嫁いじめが主になっている。でもだぶん、視聴者の気分は「がんばれ、てん・藤吉」ではなく、ごりょうさん北村啄子(鈴木京香)もっとやれ、だろう。

今のところわろてんかが面白くなる道は主人公たちを叩くしかないのではないか。第三者からは見えない異次元世界の中にいる二人に視聴者は共感できないから。

現実にはこういうバカップルいるよね。います。

でも、虚構の世界では現実より理由や理屈が必要なのです。

(思っきり余談だけど、陰謀論者って、現実に虚構の在り方に重ねてしまっているのではないかと思う。明確な理由や理屈を欲しがってしまう。でも現実は虚構より複雑で不明瞭で不確か。だから現実は小説(虚構)より奇なり、なのです。逆言えば、小説(虚構)は現実よりまとも(わかりやすい)のです)

バカップルならバカップルなりの理由があり、それを視聴者に理解させる必要がある。でも二人とも異次元だと、とても大変。だから、たいていどっちかが常識人である場合が多い。視聴者は一旦常識人側の視線に立つことができ、そこから少しずつ相方の異次元世界が見えてきて、いつの間にか異次元世界に共感するところまで視聴者を連れて行ってしまう。

あるいは「この人たち痛いよね。独特だよね。変だよね。笑っちゃってください。でも一生懸命生きてるでしょ」って方法もありかもしれない。共感はできないけど感動してしまう。宮藤官九郎脚本はこんな感じかもしれない。

今後はどうなるだろう

とにかく京都編では、二人を深いところで繋げているものや、笑いがてんにとってかけがえのないものということを、視聴者に伝えることも失敗してしまった。

二人が惹かれ合っている理由、笑いがてんにとってかけがえのない理由がわからない。つまり、てんがいったい何を求めているのか何を大事にしたいのかがわからない。それらが無いように見えるから、てんには欲望がないように見える。欲望がないから葛藤が生じない。義母のいけずに素直に従う姿は、一見健気だが、視聴者的には中身がないからどんな要求にも素直に従っているだけのように見えてしまう。

これはまったく個人的な思いだが、自分自身の存在を1ミリも疑うことのないスーパーポジティブは正直気持ち悪い。

以上、つまらない理由についてこんなに字数をかけるという不毛なことをしてしまった。つまらないという感情を冷静に考え理屈にするのは、個人的に役にたったかなと思う。

こんなに言うんだから見なきゃいいのって話ですが、ちょっと今後の興味もあって、こんなバカップルがどうやって起業し人を動かしていくかのは見てみたいと思っているのです。

続きを書くかどうかは未定です。

続き書きました。↓

elledie.hatenablog.com

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