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内気(内向的)な性格のほうが心がオープンなのではないか説

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前置き 内気の反対語って?

これを書くためにふと気になったのですが、内気の反対語ってなんだろう。 外気って全然違う意味ですよね。

簡単に調べてみた所、勝ち気らしいです。

日常で私たちが使っている内気な性格の内気のニュアンスを考えると、勝ち気はカバーしている意味の領域が狭い感じがします。

本題はそこではないので深掘りせずスルーします。

外向的をオープン、内向的(内気)をクローズというイメージ

ただ、上のように反対語がピンとこないので、内向的性格と外向的性格に置き換えます。

内向的=内気。その反対を外向的。

この二つの性格の心の有り様を、世間ではざっくりと、外向的をオープン、内向的(内気)をクローズとイメージされていると思います。

内向的(内気)のほうがオープンなのでは!?

前置きが長くなりましたが、やっと本題です。

外向的をオープン、内向的(内気)をクローズという心のイメージ。これ実際は逆なんじゃないかと思うんです。

私は、内向的(内気)です。そんな私もずっと心がクローズな人間だと思っていました。

しかし、随分大人なって、同じようにクローズに見える人や、羨ましいほどのオープンに見える人など、いろいろな人に会ってきて、最近考えが変わりました。

内向的な心は閉じているのではなく、その逆、生まれもってオープン過ぎるのではないかと思うのです。過敏なアンテナ。セキュリティが穴だらけの家。

つまり、処理しきれないほどの情報が絶えず入ってきてしまうから困るのです。

外向的な人は、それに比べればオープンではなく、相対的にクローズではないでしょうか。いやその間口の狭さが社会生活を送るのに適正なのかもしれません。

内気な人がビンビンに感じて「なんとかしなくちゃ!」と思っている状況でも、外向的な人は感じていないから、いらつくわけです。しかも「細かすぎる」「神経質すぎる」と揶揄されたりする。

自己防衛で心を閉ざしていく

こういう経験を小さい頃からしているうちに、自己防衛で心を閉ざしていくのです。高い塀を作るのです。たいてい自己否定しながら。情報を処理できない自分の無能力にがっかりしたり、なんて自分は臆病なんだ、と思ったりしながら。

特に子どもの頃は、他人も同じように自分と同じ量の情報を感知していると考えてしまうから、涼しい顔の人を見ると「自分と同じだけの情報にこの人はすんなり対処していて、すごい」と思ってしまい、一方うまく処理できない自分に劣等感を抱いてしまう。その涼しい顔の人は、そもそも、情報を感知すらしていないかもしれないのに。

こんな繰り返しの結果として自他共認めるクローズな心に偽装されていくのではないか。

(本質的な変化ではなく、あくまでも偽装だと思います。心を閉ざしても、もともと情報が豊かだから、それはそれで事足りてしまうから、その状態を受け入れてしまう)

しかし実際は、多すぎる情報を処理する能力がまだ育っていない、あるいはその方法をまだ知らないだけなのではないか。自己否定する必要なんてない。

唐突だが、霊感にたとえてみる

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内向的な人を霊感があり霊が見える人、外向的な人を霊感がない人とするとわかりやすいのではないだろうか。

霊感のない人は霊なんて見えないから心霊スポットもズカズカ進む。反対に霊感のある人は霊が見える感じてしまうからビビってしまう。この状況を第三者から見れば、霊感のない人は勇敢に見え、霊感のある人は臆病に見えてしまう。

同じように、外向的な人は勇敢で、内向的な人は臆病とされてしまってはいないか。勇敢さは鈍感の裏返しではないか。

10代の自分に教えたい

ことさらに内向的な人の敏感さを称揚したいわけではない。ただ否定するものではないのではないか。

外向的な人の勇敢さ・鈍感さは、それはそれで社会に必要だろう。しかし、敏感さも必要なのだと思う。

内向的な人の生まれもっての敏感さを、評価し育てていくことも大切ではないかと思う。少なくとも内向的な子どもが自己否定・自己卑下しながら育っていくことがないような社会になってほしいと思う。

残念ながら、外向的な子どものほうが可愛いからね、大人から好かれちゃうんだよね。

内気だと悩んでいる人や子どもに伝えたいのは、自己否定する必要なんてないということ。人より敏感なだけ。全否定するのではなく、情報量をコントロールする術を自分なりに身につけていけば大丈夫。そうすれば踏み荒らされ続けている心の庭は、外向的な人のそれより、多様性のあるずっと豊かなものになるはず。

偉そうなことを言っているが、本音を言えば、できることなら10代の頃の自分に教えてあげたいと思っただけのこと。そしてそれはもちろんできないから、前向きに書いて自分を慰めただけのこと。